幕末の維新

23時59分59秒が今日という日であって、0時00分00秒が明日という日であるならば
その一秒を暖めて生きなんだいかんと思う今日この頃です。

11月の最終週に世界遺産に登録された“  萩の産業遺産群 ”を見てきました。

現在人口約5万人の山口県萩市。
歴史を紐解けば語るに昼夜を渉る歴史ですが、幕末に西洋の技術を取り入れた産業化を目指した長州藩の
モノづくりへの想いが5つ世界遺産に登録されました。

まず、始めに“ 萩反射炉 ” 

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高さ10.5mの安山岩積みの金属融解炉です。
なぜ高い煙突が必要なのか。「硬くて脆い鉄」を「軟らかくて粘りのある鉄」に変えることができるとのこと。
そーなのか。だからなのか。  ふむふむ。。。

続いて“ 恵美須ヶ鼻造船所跡 ”を訪ねます。

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ここで知る人ぞ知る、長州藩最初の様式軍艦「丙辰丸」と「庚申丸」が建造されました。
前述はロシアの造船技術、後述がオランダの造船技術。まさに維新です。

次は“ 大板山たたら製鉄遺跡 ”です。

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「たたら」と云えばそう、もののけ姫。
道なき道を巡り、山々を分け入ったなかに突如として現れたその姿に「サーン!」です。
「たたら」とは鉄の原料である砂鉄と燃料の木炭を炉に入れ鞴を用いて製鉄する方法だそうです。
ちなみに「丙辰丸」建造には大板山たたらの鉄が使用されたとのこと。

変わって“ 萩城下町 ”

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関が原の戦いで破れた毛利輝元が萩城を築城した城下町です。
萩の市議にはちょんまげを結った方もいるそうでして、そんな私は白壁に続く緑のマゲに興味津々です。

5つの産業遺産のラストを締めくくるのはそう、“ 松下村塾 ”です。

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私が愛してやまない幸田露伴と吉田松陰。その松陰先生の私塾です。
実家の目の前とははじめて知りました!

と、以上が日本の近代文化始まりの地“ 萩 ”ですが、最後に松陰先生が教鞭をとった藩校である
“ 旧萩藩校明倫間館 ”を訪れました。
現在、耐震改修&リニューアル工事中のためヘルメットを着用し内部へ進みます。
天井仕上材が撤去されているので小屋裏の構造が垣間見えます。
と、そこで!!  棟札と対峙することに!

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昭和9年に着工し、翌年10年10月10日10時に落成式が執り行われたそうです。
当時の子供は約3,000人。80年経過した現在の明倫小の子供は670人。

2050年には明治維新の人口まで減少すると云われる我が国、日本。

“ 一巳の労を軽んずるにあらざるよりは いずくんぞ兆民の安きをいたすをえん ”
この言葉。明倫小学校の二年生での朗唱文。

心が震える。。。

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