気がつけば立秋を過ぎること。
お盆も過ぎ、朝夕には秋風が感じられるようになってまいりました。
日中はまだまだ猛暑が続いておりますが、皆さまがお元気でお過ごしのことと拝察申しあげます。
繁忙を言い訳ではありますが、残暑お見舞い申し上げます。
いつもどこでも活字と触れるため、紫煙を燻らすバルコニーには文芸誌を。トイレには雑多な書籍を。
仕事場には建築雑誌を。そしてリビングでは新聞と小説をと読書を勤しむ日々です。
最近ハマっている建築家がこんな話をしていたことをふと思い出しました。
バイオリンはね、仕組みも構造も一緒であるけれども、バイオリン職人はそれが100個並んでいても
違いが解るのだそうです。
仕組みは一緒。構造も一緒。そしてフォルムも一緒。
違いはというと、全て音色が違うということ。奏でれば全てが解るという本質のこと。
姿カタチを500年、ずっと変えないその楽器だけれども、いかに最上の音色を探究するかを
バイオリン職人は追い求める。そんな美談な話。
置き換えてみると建築もまた一緒なんですよね。
日本は勾配屋根の町並みが古くから在り、屋根と軒先のデザインで四季に応じた住処としてきたのであり、
巨匠と云われた建築家は、その木造家屋の住宅を洗練し、そして昇華させてきました。
最近の時世はというと、奇抜な外観やデザイン、雑誌に掲載される写真映えした内部には生活感を
感じることが皆無であり、突出したファサードが周辺環境と調和せず、
むしろ畏怖の念すら抱いてしまうことが多々。
オーケストラは楽器は全て違うけれども、音がすべて調和して一つの音楽となる。
立ち並ぶ住宅の街並みに、ひょいと目を凝らすとキラリと光る素朴な家。
そんな建築。そんな建築家が私はやはり素晴らしいと感じる。
夏に青々と茂るメタセコイアの並木道。
素敵なエモーショナル。