どのぐらいぶりだろう。と忘却の彼方の記憶を辿る。
週末、クライアントが建築技師ということもあり一緒に平板測量を行いました。
じわじわと汗をかきながら、大学生の頃の自分を懐古した。
コンペに応募するために連日連夜ゼミ室に集う仲間たち。
私立なので両親に負担を掛けないように学費だけを援助してもらい
家賃と生活費を工面するためバイトを掛け持ちしていた。
ゼミに入り込むと時間が不足し、生活費が枯渇するから賄い付のバイト先をよく探したものだ。
3日飯を食ってないとふらふらしたから仲間がよくご馳走してくれた。
当時、電気はよく止められたけれども水道は生命のライフラインだからなかなか止まらなかった。
と、そんなことを考えていると水の文化を思い出した。
日本は水が豊富にあるから流水の文化なのだそうだ。
源泉かけ流しにそうめん流し。神社お寺の手水舎などなど。
外国に目を向けると例えば中近東。
水は天より戴く貴重な資源であるから、洗顔もきっちりとボウルに注ぐ。
コンビニで手軽に買う“ 水 ”。
よく考えるとガソリンよりも高いんだよね。
当たり前の事をさも当然と勘違いをしてはいけない。
週末の山口近代建築研究会でHさんが東京谷根千巡りの報告をされていた中で
幸田露伴の“ 五十塔 ”のモデルとなった五十塔跡があったと言われていた。
てっきり空想かと思っていた。
そうだった。物語があれば背景は必ずどこかにあるはずだった。
久しぶりにICUのTさんと建築デザインについて語り合った週末。
ピカソのゲルニカのたとえ。
生きてきた長さが違うからまだまだ全く敵わない。